三社祭の由来、歴史など

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三社祭りってどんなお祭り?

三社祭は、700年以上も続いているといわれる、浅草神社のお祭りです。その起源は、正和元年(1312年)に行われた「舟祭」にあるといわれています。平成24年(2012年)には三社祭の起源から700年ということで、この「舟祭」を再現した「船渡御」が行われました。
現在では、御神輿を船に乗せて・・・ということはされておらず、浅草の街をお神輿が渡御されていきます。その規模は、150万人の人出が見込まれるほどで、街が活気にあふれます。街中のいたるところから、威勢のいい掛け声が響き、歓声が聞こえます。現在は、5月17・18日(以前行われていた日程)に近い、金・土・日曜の3日間が開催時期となっており、3日間の間、街全体が独特なエネルギーに包まれます!

三社祭りの見どころは?

私は、三社祭が行われている時の、街全体の空気が好きですが、3日間の行事として有名なのは、下記でしょう。
1日目:無形文化財「びんざさら舞」の奉納
2日目:氏子44ヶ町の町内から約100基の神輿が、浅草寺本堂裏広場に集まり、一基ずつ浅草神社でお祓いを受け各町会へ渡御
3日目:本社神輿3基が各町会を渡御し、最終的に宮入りしていきます。

御神輿について

3日目、御神輿3基が浅草の街を渡御されていきます。神輿はそれぞれ、一之宮、二之宮、三之宮と呼ばれています。実は、このお神輿一つ一つが、神様をのせているといわれています。
もともと浅草神社の起源は、推古天皇の時代、二人の兄弟、檜前浜成命(ひのくまはまなりのみこと)と檜前竹成命(ひのくまたけなりのみこと)が、現在の隅田川で漁をしていた際に、ある像が網にかかったことからはじまっています。これを土地の文化人であった士師真中知命(はじのまつちのみこと)に見せたところ、観音様であることがわかり、この像に祈念するようになり、これが浅草寺の起源へとつながります。
歴史的には明治時代に神仏分離が行われ、浅草寺と浅草神社が分離していきますが、浅草寺と浅草神社は深いつながりがりがあり、浅草神社ではこの檜前浜成命、檜前竹成命、士師真中知命を「3社様」として祀っています。三社祭の祭礼にあたり、一之宮には土師真中知命、二之宮には桧前浜成命、三之宮には桧前竹成命の御神霊をお移しして、渡御していることから、「御神輿に神様がのっている」と言われるんですね。
三社祭にいくと、浅草神社のシンボルマークをよく目にすると思います。このマーク、どんな意味かわかりますか? これは「三網の神紋」と呼ばれており、土師氏と檜前氏の家紋であったそうです。漁で使う網を模したもので、網が3つの柱にかかっているようにも見えますが、一番高い真ん中が士師真中知命、右が兄の浜成命、左が弟の竹成命を表しているといわれています。左右では、微妙な差ですが右側が少しだけ高くなっています。

御神輿を上から覗いてはいけない?

私は浅草に引っ越してきて、町内でこんなことを言われました。「御神輿を上からのぞいちゃダメだよ」と。
先に書いたように、3つの神輿には、3人の神様がのられており、浅草寺・浅草神社を中心とした浅草の街を練り歩きます。これは、三人の神様が自分たちの住んでいた町を様子を見守りに来ている、そんな意味もあるのだそうです。そんな神様を上から見下ろすようなことは、もってのほかで、下町の地元民は間違っても神輿より高いところから神様をのぞこうとはしません。これだけ大きなお祭りですから、ベランダからのぞいている人がたくさんいそうなものですが、そんな姿が見えないのは、こういった理由からなんですね。

風流な軒提灯

三社祭を見に来ると、いたるところで目にするのが、氏子さんの軒先につるされた提灯です。「軒提灯」と呼ばれていますが、これ、デザインがいいですよね! 毎年微妙にデザインが変わっていますが、白を基調にして、黒で「三社祭」の文字、それに浅草神社の三網の神紋があしらってあり、シンプルかつ涼しげで、 お祭りにぴったりですよね。

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