浅草に来たらぜひ食べてもらいたいのが、天ぷら・天丼です。浅草の天ぷら・天丼は、江戸前天ぷらといわれ、現代の多くの天ぷら屋さんや、ご家庭で食べる天ぷらとはちょっと趣が違うんです。
江戸前天ぷらと関西地方の天ぷらとの違い
東京湾でとれた、新鮮な魚介をネタにして、卵で衣をつけ、ごま油でこんがりと揚げるのが江戸前の天ぷらです。関西地方では、サラダ油で卵の衣もなく、こんがりとした色合いではなく白っぽい揚げあがり、というのが特徴です。もともと関西地方では魚介類が手にいれずらく、野菜中心のネタであったのに比べて、江戸前天ぷらでは東京湾の魚介の臭みをカバーするためにごま油を使ったといわれています。また、塩で食べるのは関西地方が多く、関東地方ではつゆが多いといわれています。
「天ぷら」の由来
鉄砲の伝来とともに、ポルトガルから伝えられたといわれています。したがって、「天ぷら」という言葉もポルトガル語から由来しているといわれていますが、諸説あります。
・「テンポラ」というポルトガル語があります。「四季の斎日」という意味ですが、具体的には、肉を食べることが禁止され、魚介に衣を付けた料理を食べる期間があったそうです。この調理法が現在の天ぷらにつながっており、「テンポラ」という言葉から「天ぷら」になったといわれる
・「テンペロ」というポルトガル語もあります。これは調味料や料理を意味する言葉で、この「テンペロ」から天ぷらに転じたという説もあります。
いずれにしても、正確な由来までは判明していないようです。
浅草の老舗―大黒屋
大黒家は明治20年(1887年)創業の老舗天ぷら屋さんです。ただ、もともとは蕎麦屋を営んでいたそうです。伝法院通りに店を構え人通りは多かったようですが、天ぷらそばを出すと繁盛したため、明治の末ごろから天ぷら屋へと変わりました。当初は「大黒屋」でしたが、天ぷら屋へ変わった際に「大黒家」へと名前も変えています。
EKIMISE方面から伝法院通りを進み、浅草公会堂のあるブロックまで来ると大行列ができている店、それが大黒家です。ちなみに伝法院通り沿いの店は本店で、雷門のほうにすこし移動すると別館があります。本店で行列ができているときでも、別館に来てみるとすこしの待ち時間で入店できたこともあるので、本店に行列ができてしまっているときは、ぜひ別館ものぞいてみてください。
浅草の老舗―三定
三定の創業は江戸時代、天保8年(1837年)です。なんと175年以上の歴史のあるお店で、天ぷら屋としては最も古いお店と言われています。
三河から上京した定吉(さだきち)という方がお店を始めたことから、「三河屋定吉」、略して「三定」というのが店名の由来となっています。
三定も相変わらず人気があり、雷門すぐそばという立地の良さもあり、お店自体が観光スポットのよう繁盛しています。