蕎麦の歴史
蕎麦はタデ科の植物である「ソバ」の実から、粉をひいて作っています。日本のソバの原産地には諸説ありますが、DNAの分析などから中国よりわたってきたものであるという説が有力になっています。
高知県内の遺跡からソバの花粉が見つかっていますが、これは9000年以上も前の遺跡だったそうです。日本では、9000年以上前からソバの栽培がされていたと考えられています。
ソバは、湿潤な気候には弱いのですが、涼しい気候の中でも生育し、また雨が少なく乾燥した天候の中でも生育します。また、土壌についても、いわゆるやせた土地と考えられるようなところでも生育したそうで、古くは、天候や土壌がが厳しい環境の中での食糧源となっていました。
そば切りとは?
昔、蕎麦といえば、現代食べているような麺状のモノではありませんでした。むしろ、現在「そばがき」とか「そばもち」として食べているものが、蕎麦でした。現代のような麺の形をした蕎麦は「そば切り」と言われていました。そば粉に湯を加えて、こねて餅状にした当時の蕎麦、それを細長く切ったものであり、「そば切り」と呼ばれたと考えられています。このそば切りの起源については、いつ頃歴史に現れたのかはっきりとしたところはわかっていないそうです。
定勝寺というお寺で、天正2年(1574年)にかかれたとされる「定勝寺文書」が発見されましたが、その中で、「ソハキリ」(そば切り)という言葉出てきています。このため、そば切りが始まったのは、戦国時代と考える説が有力になっています。その後、江戸時代に入り、蕎麦文化が花開くことになります。
蕎麦にまつわる風習
年越しそば
私は小さな頃から毎年欠かさず食べていますが、年越しそばの始まりにも諸説あるようです。
・蕎麦は切れやすく、一年のいやなことを切り捨てて、新たな年を迎えるという願掛けで年越しに蕎麦を食べるようになった
・蕎麦は細長く、長く細く生きていけるようにと願って年越しに蕎麦を食べた
などと言われています。
ただ、鎌倉時代には年越しに蕎麦を食べたという話があるようです。鎌倉時代では、蕎麦といっても現代にある「そば切り」のものではなく、いわゆる「そばがき」などだったかもれませんので、本当の起源やいわれは、まだ不確かなようです。
12月31日は大晦日(おおみそか)ですが、江戸時代のころには、「晦日そば」という風習がありました。晦日(みそか)は月末のことで、12月末の大晦日だけでなく、各月末にも蕎麦を食べる風習があったようです。
引っ越し蕎麦
今ではあまり行われなくなりましたが、引っ越し蕎麦も昔からある風習ですね。これも諸説あるようですが、あなた「そば」に越してきましたよ、という挨拶から、引っ越しの際にお蕎麦を配ったのがはじまりという説があります。
浅草と蕎麦
江戸時代、当時から安価なこともあり、すっかり定着した蕎麦食ですが、粉のひき方、つゆへ工夫などを経て味が追及されていきます。江戸では「砂場」、「更科」、「薮」の三つが、三大系譜として有名です。さらに、藪蕎麦には「藪蕎麦御三家」と呼ばれる「かんだやぶそば」、「並木薮蕎麦」、「池の端薮蕎麦」の3つの名店がありますが、「並木藪蕎麦」は浅草の雷門から徒歩数分という場所にあります。
藪蕎麦の特徴は、なんといっても辛口のそばつゆです。辛口のつゆですから、そばの先にちょっとだけつゆをつけて食べます。これが江戸っ子の蕎麦の食べ方として広まりました。この辛口のつゆの美味しさは、有名なグルメマンガ「美味しんぼ」にも実名で取り上げられているほどです。