「仲見世」とは?
雷門から浅草寺へと南北250メートルにわたり、約90軒が軒を連ねる参道、これが仲見世です。日本で最も古い商店街の一つと言われており、その起源は江戸時代にのさかのぼるようです。
仲見世の由来
「仲見世」というネーミングはあまり聞きなれないものですが、名前の由来には諸説あるようです。位置的にはに宝蔵門と雷門の間にある商店街であり、間にある店、という意味合いから転じて「仲」の「店」となり、また単に「店」といってもひねりがないので、「見世」としたという話もありますし、90軒もの商店があり、様々な商品を「見せる」という意味もあって、「見世」という文字を用いた、という説もあるようです。
仲見世の歴史
江戸幕府が開かれると、江戸の人口が増えるとともに、浅草寺への参拝客も増え、浅草寺界隈はにぎわいました。このような状況を背景に、元禄から享保のころ(1688年〜1735年頃)、境内や参道沿いに、茶屋や土産品などの店を出すこと許可が与えられました。これが仲見世の始まりと言われています。このとき出店の特権が与えられたのは、浅草寺の境内の清掃などを受け持っていた近隣の人々に対してだったそうです。
明治維新の政変では、出店の特権が仲見世から取り上げられますが、その後再び出店の許可が下り、1885年12月27日に新店舗として139店が改めて開店したそうです。このことにちなんで、12月27日は「浅草仲見世記念日」になっています。
その後、大正12年の関東大震災による崩壊、昭和20年の戦災での内部焼失など、さまざまな苦難がありましたが、昭和60年秋に近代仲見世の誕生100周年を迎えています。
「新」仲見世とは?
松屋浅草から六区方面へと続き、途中「仲見世」と直角に交わる大きな商店街があります。これが「新仲見世」、通称「しんなか」です。店舗数は約100店、380mにもおよぶ大きな商店街で、仲見世と並びいつも大盛況です。
松屋浅草は昭和5年に開店しましたが、新たにできた松屋浅草から、公園六区へと通じる商店街が形成されてゆき、これが新仲見世の原型となっているといわれています。
仲見世や新仲見世の日常
仲見世もしんなかも、浅草観光の中心スポットで、休日は観光客でいつも混雑しています。仲見世に比べると、しんなかは新しく感じますが、プロマイドの「マルベル堂」をはじめ、「レトロ」な雰囲気満載のお店もあり、楽しめます。また、地元民も買い物に使うようなドラッグストアもあれば、美味しい飲食店も多く、しかも、しんなかはアーケードに覆われており、雨の日でも雨があまり気にしなくていいがいいですね。
私は夜の浅草寺が好きなのですが、仲見世も夜に通るとまた違った雰囲気が楽しめます。仲見世は夜8時くらいには閉まり、シャッターが下ろされますが、そのシャッターには浅草の歳時が描かれており(「浅草絵巻」というらしいです)、一味違った仲見世を楽しめます。浅草寺のお参りもゆっくりできますし、おすすめです。
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