【浅草寺】雷門と大提灯についての歴史・由来など

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浅草といえば浅草寺、雷門。そして、雷門につるされた大提灯も、高さ3.9m、直径3.3m、重さ約700kgという巨大な提灯でインパクトがあり、必見です。そんな浅草の顔、雷門と大提灯の歴史などについて紹介していきます。

風神雷神門

実は雷門というのは略称です。正式な呼び名をご存知でしょうか?
正式には風神雷神門と言われています。大提灯の正面には雷門と書かれていますが、ぜひ後ろからも見てください。後ろには風神雷神門を略して「風雷神門」とかかれています。雷門には、二体の像が左右にまつられていますが、これが雷神(左側)、風神(右側)なんですね。風神・雷神は、各地で祭られていますが、浅草寺でも、風水害や火災から守られるように奉安されたと言われているそうです。

雷門の歴史

今ある雷門は、いつ建てられたものでしょうか? 
古くは、平安時代中期の武将であった平公雅が、天慶5年(942年)に武蔵守となり創建したのが雷門のはじまりと言われています。また、現在の位置に置かれたのは鎌倉時代と言われています。創建時には駒形近くにあり、風神雷神はこの移築の際に雷門の左右にまつられるようになったようです。ただ、その後、たびたび焼失して、建て替えられています。そして、1960年に現在の雷門と大提灯が作られます。有名な話ですが、当時の松下電器産業(現パナソニック)の創業者である松下幸之助が、寄進したもので、大提灯正面には「松下電器」の名称が入っています。

浅草寺の山門

雷門は、浅草寺の山門とされています。もともとお寺は山に作られることが多かったため、お寺の門は、山の門でったことから、お寺の門=山門と呼ばれるようになったようです。雷門の中央、大提灯のつるされた部分には浅草寺の山号である金龍山の文字が記されています。

大提灯の修繕は?

大提灯の修繕は、10年に一度、張替が行われています。この間、約2か月間は雷門から大提灯が姿を消すことになります。最近では、2013年の9月から11月の約2か月間行われていました。
2016年5月には、屋根瓦の一部が落ちているのが発見され、その後の調査のため雷門全体がおおわれてしまいました。大提灯まえでの記念撮影を狙っていた観光客の方には残念だったかもしれませんが、めったにあることではないので、カバーをかけられた雷門という逆に貴重なショットになったもしれません。

混み具合は…

駅に近いランドマークですので、待ち合わせにもよく使われますし、記念撮影でも人気のスポット。人力車の案内も多く、休日は常に観光客で大賑わいです。ただ、最も人が多いのは、初詣でしょう。浅草寺への初詣のため、浅草寺本堂から、仲見世通りを過ぎ、雷門も過ぎ、そのまま道路へと伸びていく大行列を作ります。年によってばらつきは出ますが、日付が変わる前から午前3時くらいが混雑のピークです。ちなみに地元民の私は、毎年時間帯をずらしてお参りさせてもらっています。

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